菩薩のような明王
それとは逆?に、菩薩のような明王なる仏様もおられます。
孔雀明王
その名の通り、孔雀に乗る明王。
煩悩・苦悩・恐怖を払い幸福をもたらす明王として信仰されています。
明王と呼ばれているのにもかかわらず、憤怒相ではなく穏やかな慈悲相をしています。
マハー「大いなる」 + マーユーリー「孔雀」=「偉大な孔雀」という意味です。
マーユーリーはマユーラ(孔雀)の女性名詞であり
元来は女神で、悪を滅ぼす美しい女神として信仰されてたのですが。。。
毎度のことながら日本仏教で像容が男性化されてしまったようです。苦笑
(認知度は低いですが、摩訶摩瑜利*2、孔雀仏母、孔雀王母菩薩とも云われることがあります)
インドの国鳥でもある孔雀は、見た目の優雅さとは違い
コブラやサソリなども捕食するかなり獰猛な鳥であり
毒蛇・毒虫を喰らうということから
また、雨季の到来を告げる鳥とも云われ
恵みの雨をもたらす吉鳥として尊重されてきたそうです。
ご利益:雨乞い・息災延命・災難除去
像容の特徴
一番の特徴は、なんといっても孔雀の背中に乗っていることで
広げた尾羽が後光のようになっているのがポイントです!
孔雀明王自身の像容は、一面四臂(または一面六臂)で
肌の色は、他の明王とは違い、白っぽい肌色もしくは金色。
冒頭にも述べたように、特筆すべきは憤怒相ではなく慈悲相であり
炎髪三目ではなく、白毫がついているというまさに菩薩面であるということ。
持物
真手(第一手)の右手に蓮華、左手に吉祥果を持ち
第二手の右手に具縁果、左手に孔雀尾羽を持つ。
お気づきかと思いますが
明王であるにもかかわらず、武器類を一切持っていないのも特徴です!
極私的感想(疑問)
はじめに断っておきますが、失言および暴言めいたことを書きますが
あくまで個人的意見なので、ご了承ください m(_ _)m
もともとは女神だったものを、わざわざ明王に変えたのは何故でしょうね?
そうしておきながら、孔雀仏母や孔雀王母菩薩などという別名を設ける。
准胝観音のときもそうでしたが、もうそこまでするなら像容も女性化すればいいのに
何故日本仏教は頑なに像容を女性化しないのかが不思議でなりません。
日本の仏教では、天部以下からしか女性像が出てこない
きつい言い方をすれば、男性優位に捏造したご都合主義の悪しき考え。
如来・菩薩(天部以降の上の位)には性別が無い。
というのも苦し紛れの言い訳に感じてしまうのは自分だけなのかなぁ?
今回のは明王だし、女王ではなく「王」とつけてる以上
男性ってことじゃないのか?
(根本否定になるからかも知れないけど、それについて言及している僧侶が殆どいないというのも不思議)
や。なにも男性を下げて女性を上げろとは思いませんが
男性だけが上に来ているというのがどうもね。。。
男女平等といいながら、国会議員の男女比率を見てもわかるように
現在でもそういう風習が残っているのが謎です。
まぁね。男女にかかわらず
人々すべてに完全平等なんてのは幻想に過ぎないとは思いますが
あからさまに目立つ不平等感はやっぱり気持ち悪いです。
さらには、 あきらかに菩薩の容姿をしているのに明王としてるところが超不思議。
孔雀明王は、もとは女神であったことから菩薩のような姿の明王となった。
と云われていますが
その理屈でいくと、元来女神であったとされる軍荼利明王も菩薩容姿になりそうなのに
なぜかそちらは炎髪憤怒相の明王容姿という。。。
パーンチャ・ラクシャー(五守護女神)の一柱ということらしいのだけど
残りの四柱の女神名が掲載されていないのでめっちゃ気になっていますw
(ご存じの方おられましたら、教えて頂ければ幸いです^^;)
ああ、でも。。。
マーユーリーは女性名詞ってことだけど。。。
つまりは孔雀の♀ってことになるのかな?
そうだとすると尾羽が豪華なほうは♂なので、ここも矛盾してるやも?w
ま。謎だらけではありますが
造形美としてはかなり見応えのある仏像なので嫌いではありません^^(どないやねんっw)